今日は映画祭の前日にふさわしく(?)いろんな人からメールや電話をもらいました。あらためて、一人ではここまで来ることができなかったと、強く再認識しました。
「人と人との繋がり」
言葉にすれば何とも陳腐です。「繋がり」なんて内在的なものなのだから、あえて口に出して言うのも本当はおかしいのかもしれません。ましてや、僕は現実主義者です。「人と人は繋がってる」なんて、実のところハナから信じちゃいません。他人のことなんて本当は誰もわからないし、誰かと気持を共有できるなんて、しょせん幻想です。
じゃあ、なぜ僕はこんな陳腐な言葉を、存在しないとわかっていることをわざわざ何度も口にしてきたのでしょうか。
人間には想像力があるからです。
嫩や鴇田は、僕が生み出したキャラクターではあるけれど、僕にとって他人です。自分が生み出したのだからすべてわかっているというのはウソです。少なくとも僕は嫩や鴇田と同じ人生を歩んでいません。
だから想像しました。その想像が物語となり、脚本となり、そして映画となったのです。
僕はこの映画に関ってくれたスタッフやキャストが、どのような人生を歩んできたのかはよく知りません。でもすべての人が、ある日突然、この映画に関りだしたわけではなく、どんなに些細なことであっても、そこには確かに何かの物語があったのです。そのひとつひとつを僕は知りません。でも、想像することはできます。僕が映画をつくらなければ出会わなかった人たちがいることを。生まれなかった物語があることを。
「人と人との繋がり」は幻想だし、世の中しょせん金、です。でも、僕は孤独じゃありません。
僕の映画はそんな世界の豊かさを、果たして体現できているのだろうか……答えは明後日です。
……あーあ、けっきょく過剰に感傷的な文章になっちゃった。伊参スタジオ映画祭の「宵山」はいつもこうなんです。やたら気持が昂ぶっちゃって。まあ、やることがいくつか残っていて、少々ばたばたしていたので、今年は例年とはまた違った趣のある宵山でした。
それでもこの一年に思いを馳せると言葉が溢れてきてキリがないのですが、僕の悪いクセである「理屈こねるの術」」はしばらくの間封印して、明日と明後日、思い切り、しかし最後まで気を抜かずに楽しんでこようと思います。
さあ、お祭りが始まるよ!!