前記事「
総括――『金糸雀は唄を忘れた』は『ゴジラVSスペースゴジラ』である」に頂いた海沼武史さんのコメントに答える形で、「映画制作の一部」として重要な役割をになってきた当ブログ「金糸雀が唄を思い出すまでの日記」についても総括をしておこうと思います。
ずっとこのブログを読んで下さった方ならわかると思いますが、僕の文章では、必ずしも字義通りの意味として言葉を使わないことがたびたびあります。もちろん「失敗作」然り「駄作」然り。別に僕に限らず、多くの文筆家がふつうにやっていることだと思いますが。
決して自嘲でもなんでもなく、「誇り高き失敗作」は僕にとって精一杯の自己肯定の言葉なのです。
それと、自分が監督した作品を自己評定することが、協力してくれた人たちに失礼になるという意見には少々違和感を覚えます。協力者におべっかを使って、自作について堂々と語ることすらできないとしたら、僕という存在は、いったい、この映画にとっての何なのでしょうか?
僕は協力してくれた人たちには感謝していますが、魂まで売り渡した覚えはありません。僕は直接の協力者であろうがそうでなかろうが関係なく、『金糸雀は唄を忘れた』という映画について何がしかの関心を持ってくださり、ブログを読んで下さっているすべての受け手に対して誠実でありたい、と思っているだけです。
僕は「誇り高き失敗作」という言葉で、協力してくれた人たちの尊厳をなにひとつ、貶めてはいません。むしろいい人ぶって「皆様のおかげで素晴らしい作品ができました、ありがとう!」などとうそぶくことこそ、この映画のために労力――それは文字通り半端でない「労力」だったはずです――を割いてくれた人たちに対して、映画の仕上がりに対して責任を持つ者としての誠実さに欠けると考えるのです。
もう一点。
もしプロの現場で助監督しかできないことに悶々としている人がいるなら、自主映画というフィールドなら自分が監督をするチャンスはいくらでもあるのだから、自分で監督する機会を作ればいいだけのことです。『ハッピーフライト』等の矢口史靖監督の言葉に示唆的なものがあります。映画監督は「なる」ものではなく「する」ものだ、と。自分で監督「す」れば、その人はもう映画監督なのだと。僕自身そこを目指しているし、現にそのようにして映画をつくってきました。
その意味でも、システム化されたプロの現場の話をここで持ち出されるのは少々筋が違うのではないかと思います。むしろ「俺、助監督しかやらせてもらえないんだよ~」なんて言う奴がいたら、じゃあ自分で人集めてカメラ回して映画を撮れ!と言いたい。
だいぶ主旨から逸れましたが。
僕は、最初からこのブログをよくある映画の宣伝ブログには絶対にしたくありませんでした。
ここが、一般的なブログに比べれば多少は公共性の高い場所であることは自覚しています。しかし、いやだからこそ、僕はそういう場所でこそ裏表のない「自分の言葉」で語ることに挑戦したかったのです。あたりさわりのない「毒抜き」された言葉ばかりがもてはやされ、「公」という概念が著しく卑しめられているような世の中だからこそ。
だから僕は、生活者・赤羽健太郎としてこのブログを終えたかった。